2006年10月22日

トルバドゥール 〜ベルナルト・デ・ヴェンタドルン

*トルバドゥール 〜ベルナルト・デ・ヴェンタドルン

 原トリスタン物語が12世紀中頃には流布していたとする説の証拠付けをもうひとつ。

 南仏出身の吟遊詩人(トルバドゥール)、ベルナルト・デ・ヴェンタドルン(Bernart De Ventadorn 1125(30−47,50)〜1170(80,95)要するに生没年はっきりしていません)が詩の中で、トリスタンについて述べています。

 ベルナルト・デ・ヴェンタドルン(ベルナール・ド・ヴァンタドール)は、ポワティエのアリエノール・ダキテーヌ(ルイ7世とヘンリー2世の妃、リチャード獅子心王の母)の宮廷で活躍したトルバドゥールです。その生涯は残っている詩ほどにははっきりしていませんが、リムーザン地方出身の身分の低い生まれであること(母親はお城の竃番の説も)、英国王となったアンリ・プランタジュネ(ヘンリー2世)とアリエノールに連れられてイングランドに渡ったことは確かなようです。

「私の心は喜びで一杯」と題する詩からトリスタンが出てくる一節を、そして最も有名な「陽の光に向かいて雲雀が」の冒頭部分もあわせて紹介しましょう。

「私の心は喜びで一杯 (Tant ai mo cor ple de joya)」

せめてもの希望をかけるそのひとは   Eu n'ai la bon'esperansa.
世にもつれないひとだから、      Mas petit m'aonda,
私は揺れて漂うばかり         c'atressi.m ten en balansa
波間の小舟のように          com la naus en l'onda.
心狂わせる不幸を逃れて        Del mal pes que.m desenansa,
どこへ身を隠せばいいんだろう     non sai on m'esconda.
おかげで私はベッドの上で       Tota noih me vir'e.m lansa
身をもだえ 寝返りをうつばかり    desobre l'esponda.
これほどの愛の苦しみを        Plus trac pena d'amor
あの恋の男トリスタンも        de Tristan l'amador
金髪のイズーのため          que.n sofri manta dolor
味わいはしなかったものを       per Izeut la blonda.



「陽の光に向かいて 雲雀が (Quand vei la lauseta mover)」

陽の光を浴びて 雲雀が       Quand vei la lauseta mover
喜びのあまり羽ばたき舞い上がり   De joi sas alas contra'l rai,
やがて心に広がる甘美の感覚に    Que s'oblid' e's laissa cazer
われを忘れて落ちる姿を見るとき   Per la doussor qu'al cor li vai,
ああ どれほど羨ましく思えることか Ailas ! quals enveja m'en ve
恋の喜びに耽る人々の姿が      De cui qu'eu veja jauzion !
我ながら訝しく思える その一瞬   Meravilhas ai, quar desse
渇望にこの胸がはり裂けぬは何故か  Lo cors de dezirier no'm fon.


トリスタンよ もう何も私から受け取りますまい  Tristans, ges non auretz de me,
哀れな男は出る 行方も知れぬ旅に  Qu'eu m'en vau caitius, no sai on :
歌はやめた 歌を諦めた       De chantar me gic e'm recre,
愛と喜びから身を隠すのみ      E de joi e d'amor m'escon.
 「フランス中世文学集 信仰と愛と」 新倉俊一、天沢退二郎訳 (白水社)


 前者の詩から推察できるのは、ベルナルトも、聴衆も、トリスタンとイズーの物語を知っていて、
「恋の苦しみ」を持ち出されると、ああ、あのトリスタンね、と比較して楽しんだ、ということです。
12世紀半ば頃までに、トリスタン物語はヴェンタドルンが活躍した南仏まで伝播し、親しまれていたわけです。
もちろんベルナルトが愛と詩を捧げたのは、パトロンであるアリエノールに向けてでしょう。

 後者の「雲雀」の詩は、トルバドゥールの代名詞として頻出するぐらいに著名ですが、
冒頭の急上昇し、急降下する雲雀の鮮やかで立体的な弧の心理曲線といい、
日本語に訳されていても陶酔しそうな美しい詞選びといい、付随した哀愁漂う旋律といい、
中世吟遊詩人代表的傑作の名に恥じぬものだと思います。
W.S.マーティンは著書の「吟遊詩人たちの南フランス」(早川書房)のなかで、
ベルナルトがイングランドに渡った後に理由は不明ながら詩作をやめてしまい、20年間沈黙を続けたこと、
そしてこの詩がベルナルトが書いた最後の詩、つまり遺言というか白鳥の歌ではないか
という推論を述べています。

 そういった背景を知ると最後の一節「トリスタンよ」の呼びかけも、
また違った意味を帯びてくるのではないでしょうか?

 ベルナルトが言及した原トリスタン物語は、残念ながら現存しておらず、
トリスタン物語がまとまった形で登場するのは、マリー・ド・フランスのレー「すいかずら」になります。
次回はこのマリー・ド・フランスのトリスタンものについてご紹介することにいたしましょう。

今回はこのあたりで。長々とお付き合いありがとうございました。




****************
・参考資料
「フランス中世文学集 1 信仰と愛と 」  新倉 俊一 天沢 退二郎 (白水社)

4475015901トルバドゥール詞華集
瀬戸 直彦
大学書林 2003-01



4891765216中世ヨーロッパの歌
ピーター ドロンケ Peter Dronke 高田 康成
水声社 2004-06



4152085584吟遊詩人たちの南フランス
W・S・マーウィン 北沢 格
早川書房 2004-04-16




ホントに補足ですが、アリエノール・ダキテーヌとヘンリー二世について歴史背景なんぞお知りになりたい方は、
映画「冬のライオン」を推奨します。何てったってキャサリン・ヘップバーンとピーター・オトゥールですから!
冬のライオン〈デジタルニューマスター版〉


posted by ぴっぽ at 17:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 成立と発展
この記事へのコメント
はじめまして。
先日、「吟遊詩人たちの南フランス」を読みました。「詩」に慣れ親しんでいない私にとって難しい本でした。
ただ、ヨーロッパの成り立ちや文化、風俗を垣間見る要素であることを認識しました。

とても詳しく解説されていますね。
勉強になりました。先にこちらのサイトで予習?して読めば良かったかな?と思っています。
では。失礼しました。
Posted by sora at 2007年01月20日 08:13
SORAさん
はじめまして。感想どうもありがとうございます。

>「吟遊詩人たちの南フランス」
文章や構成が難しかったですね…。
ヴェンタドルン地方の風景や空気感が身近に感じられたのは良かったのですが。

当記事がSORAさんのお役に少しでも立てたのなら大変光栄です。
Posted by ぴっぽ at 2007年01月21日 12:44
ダンテが『神曲』の『天国編』第20章73-75行を執筆する時点で、ベルナルトの雲雀の詩を念頭に置いていたかもしれないと多くの批評家が示唆していると、インドのダンテ翻訳家であるMark Musaが注釈に述べています。
『神曲』のその部分は、
 Quale allodetta che 'n aere si spazia
prima cantando, e poi tace contenta
de l'ultima dolcezza che la sazia,
ですが、Musaは同意していません。
しかし、ダンテがトルバドゥールの影響を受けているのは確かなように思えます。
ご参考になれば幸いです。
なお、この部分の注釈の翻訳に「フランス中世文学集 信仰と愛と」 新倉俊一、天沢退二郎訳 (白水社)を引用させていただきました。お礼を申し上げます。
Posted by 中西治嘉 at 2011年08月13日 17:36
はじめまして中西さん。
投稿ありがとうございました。

ダンテ、恥ずかしながら読んだことなかったです。
青空文庫にてご指摘の箇所、調べてみました。

「まづ歌ひつゝ空に漂ふ可憐いとほしの雲雀ひばりが、やがて自ら最後をはりの節ふしのうるはしさに愛めで、心足りて默もだすごとく」

仰られるように確かにベルナルトに影響あるかもと思います。

まだまだ勉強中の身ですが、この記事が中西さんのお役に立てたのなら何よりです。 
Posted by ぴっぽ at 2011年08月27日 08:02
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